Written by Ma(n)na

フリーランス+ノマド+ファッションデザイナーを目指す修士1年のブログ

中学時代精神病で不登校だった私が大学院進学しファッションデザイナーを目指すまで

初めまして!マンナです。

まずは自己紹介!私はアメリカのニュージャージーで生まれ、1歳で日本にきて大阪在住なので99.99%関西人です。

現在、京都の芸術大学修士1年生でフリーランスノマドのファッションデザイナーを目指すべく制作に励んでいます。

 

が、中学時代はうつ病不眠症広場恐怖症・拒食症・パニック障害と続き過敏性腸症候群不登校でした。

 

おそらく原因は高校受験によるプレッシャーという、こう見るとあまりに小さいもの。

ですが、当時の自分には入学する高校が人生を左右する最大の問題だと捉えていました。

なんと、当時の私は中卒だと力仕事か風俗の二択しか働き口がないと思っていた恐ろしい世間知らずだったのです。

 

育った環境としては、親はアイビーリーグの大学院卒、私は長女ということもあって親が教育に張り切りすぎたのか、3歳から英会話、6歳からピアノ、7歳から空手、8歳からそろばん、くもん、9歳から塾・・・

中2の時はお風呂もきっかり8分で入り、1時間ごとに教科を変えて勉強をするロボットのような生活をしていて、だんだん体に異変がおきてきたのです。

 

まず静かな教室でノートをとっている時、突然猛烈な腹痛が襲ってトイレに駆け込むようになります。それが1日の授業中に5回以上なので、周りは「あいつは何回トイレに行くんだ???」とそりゃもう恥ずかしくて、逃げ場のない教室に行くのが怖くなってきます。

そしてまた便意が襲ってくるのではないかと、汗がダラダラ出てきて息が荒くなり発作のような症状も出てきます。

 

そうだ、あんまり食べなきゃ腹痛の頻度も減るかも!と思い、朝ごはんは抜き、昼ごはんは一口、二口、夜は朝には消化できるくらいの少量を食べて朝5時には起きてお腹のマッサージをする生活。

 

母親にも症状を伝えたものの、「もうすぐ高校受験でしょ、学校に行きなさい!」の一点張りで、1ヶ月に4キロ落ち部活の走り込みもまともにできない生き地獄状態になりました。

 

インフルエンザや盲腸のような、合法的に休める理由を探し親の前でゲロを吐くと言うこともしました(笑) その甲斐あって、中3の5月からほぼ学校に行かなくなりました。

親もこれはおかしいと、心療内科へ連れ出してくれて薬を飲み始めるのですが、これも悪循環の始まりでした。

だんだん薬の量も増えてきて、薬を飲む行為が精神安定に繋がるまさにメンヘラの出来上がりです。

昼まで寝て漫画を読み、テレビをぼーっとみて一日を過ごすと言うのが半年続き、高校はどうするか?と言う問題にぶち当たります。

夜中になると「中卒は力仕事か風俗の二択、どっちもいやだ死んでしまいたい」と号泣し、何もできない自分に絶望して家出や自殺未遂もしました。

 

ところがある日、単位制高等学校を母が見つけて3月ギリギリに面接へ行きました。面接だけで入学でき、通信コースは授業も1日3コマほど。

最初はパニック障害で電車もよく途中下車していましたし、授業も途中でトイレに駆け込んでいたのですが、隣の席の子が手袋をつけランチョンマットの上でノートを取っていたので、色んな子がいるんだなーと、自分の恥ずかしさも少なくなっていきました。

 

また、美術は小学生の頃からまあまあ成績がよかったことと、あまり勉強しなくてもいいのでは?と言う安易な発想で、2年生から芸術コースへ転科

そこからは精神も安定して普通に学校へ行けるようになり、いざ大学受験のためにオープンキャンパスへ行くことに。

 

小学生の時からおしゃれに興味があったことと、不登校だった自分が変身できる気分になるファッションに惹かれ、ファッションデザインコース1本で受けまさかの合格

ミシンの使い方もわからず工作のような服と、その場しのぎの面接でよく通ったなと今でも思いますが、日本の芸術大学でおそらく1番有名なアーティストやクリエイターたちが講師として集まった大学でした。

 

そして入学してすぐ、一人の意識高い系男子に惹かれます。1ヶ月後めでたく付き合うことになるのですが、独学でPhotoshopIllustrator、一眼レフを使いこなしストリートミュージシャンの映像まで撮って編集するというハイスペック彼氏でした。

彼に感化され、課題制作も熱中して取り組めたので(1年半で結局別れたのですが)とても感謝しています。

 

別れて1人になり、大学卒業してから結婚せずどう生きるのか真剣に考え始めました。

3年生の夏にはとあるファッションブランドにインターンをし、そのデザイナーさんのファッションの私塾にダブルスクールもしていました。

が、インターンをした時に心が完全に折れてしまいました。何故かというと、大学で学んだことが反映されない仕事内容をして今なんの為に大学へ行ってるのか、クリエイティブな仕事だと思っていたら全く違う・・・

などまぁよくある話ですが、これがずっと続くと思うと苦痛でならなかったし、大学でもっと制作して自分でブランドを作りたいと言う気持ちが大きくなっていきました。

 

今は大学院へ進み、卒業するまでにブランドを立ち上げる目標を持って制作中です。

文化人類学の先生についてバリ島へフィールドワークをし、「ROAMING in Bali」というコレクションテーマで制作しています。

「ROAMING」は社会学者CM Pathaさんが定義している現象・名称で、故郷に帰るかわからない、他国で様々な働き方をして自由に生きている人たちのことです。

デジタルノマドに関わらず、美容師や看護師、はたまた寿司職人まで「ROAMING」は可能です。非常に21世紀的で根本的な働き方、生き方なので、場所をバリ島に絞って制作しています。

海外移住のフリーランスについてかなり影響を受けたブロガーのwasabiさんも1年前に言及しています。

 

wsbi.net

 

 

まず前提にあるのは、ファッションはアイデンティティと流行のデザイン、言うなれば人間像作り。

フィールドワークをしてバリ島で気づいたのは無理せずおしゃべりしながら、昼寝をしつつゆるく働いている人たちです。そして働くことと並行して1 日になんどもお供え物(感謝)をしています。(Baliはサンスクリット語で捧げるという意味)

人間性を失うことなく、感謝を忘れずに働き生きているバリ人の姿勢をROAMING の文脈に取り入れています。

今作っている作品はある意味、現在の日本の働き方や生き方への抗議であり、理想であり、提案でもあります。

 

中学時代に異常なまでの強迫観念と、見えない社会のレールに打つひしがれた経験を生かして、日々制作・模索しながら、自分なりのファッションデザイナーを目指しています。

 

ちなみに過去作こちらから見れます!

take-it-easy-manna.com